大谷翔平が、メジャーリーグ(MLB)史上初めて、同一シーズン中に50本塁打と50盗塁を達成した。
大谷は通訳を介して「一番忘れられない日になるんじゃないかと思います」とし、「正直言って、僕が一番驚いています」と語った。
「チームは変わりましたけど、メジャーリーグに来てからずっと夢に見てたところではあるので。まず、今日それが決まってチームとしてもいい勝ち方ができて、素晴らしい日になったんじゃないかなと思います」 と加えた。
MLBネットワークは大谷に、この日がワールドベースボールクラシック優勝の時の思い出にかわる、彼の野球人生で最高の日になるかどうかを尋ねた。
「どちらも同じくらいうれしいです」としながら、「僕にとって一番大きいのは、ついにポストシーズンでプレーできることです」とチームのプレーオフ進出について喜んだ。
9月19日木曜日、大谷はマイアミのローン・デポ・パークで行われたマイアミ・マーリンズ戦で、6打数6安打10打点と大活躍した。
彼は6回リリーフのジョージ・ソリアーノを相手に、ランナーを背負いながら49本目のホームラン。7回もマイク・バウマンからこの夜2本目となる今季50号も2ランホームランを放ち、さらに9回ビダル・ブルジャンから51号3ランを放った。
マーリンズのスキップ・シューマッハ監督に、なぜ大谷に敬遠しなかったのかとメディアが質問すると、「野球にとっても、宿命的にも、野球の神様のためにもそれは悪手だとおもう。野球へのリスペクトです」と答えた。
この勝利でドジャースはプレーオフ進出が決定。デーブ・ロジャース監督は、ロッカールームでのスピーチで大谷の偉業を称えた。
大谷以前にシーズン50本塁打を放った選手の最多盗塁は、1955年のウィリー・メイズと2007年のアレックス・ロドリゲスの24盗塁だった。
「大谷をユニコーンと呼ぶ人もいるが、大谷はユニコーンよりも優れている」とアンソニー・カストロビンスはMLB.comに書いている。
1988年に史上初の40本塁打・40盗塁を記録した元スーパースター、ホセ・カンセコも大谷を称えた。
大谷は1994年、岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれた。父親の大谷徹氏は元社会人野球選手、母親はバドミントン選手だった。
大谷翔平は10代の頃、花巻東高校でプレーするかたわら、水泳の選手としても活躍した。佐々木洋監督は厳しい規律を信条とし、選手たちが家に帰れるのは年に6日だけだった。
大谷の速球は2012年夏の甲子園で160キロを超え、同年、日本プロ野球(NPB)の北海道日本ハムファイターズにドラフト指名された。
大谷はハムファイターズで投手兼指名打者として活躍し、2016年の日本シリーズ優勝に導いた。
大谷は2012年のWBSC U-18野球ワールドカップで国際野球デビューを果たした。投手としての印象は薄かったが、指名打者兼左翼手として34打数14安打(打率.324)の成績を残した。
第1回WBSCプレミア12 2015では投手として圧倒的な強さを見せ、2試合に先発し、合わせて13イニング投球、無失点、21奪三振を記録した。
2018年にメジャーリーグ(MLB)のロサンゼルス・エンゼルスに移籍。2024年シーズンは、ロサンゼルス・ドジャースでの初年度となる。
大谷は投手として86試合に先発し、38勝19敗、防御率3.01の成績を残している。
これまで886試合出場、3,082打席、222本塁打を放った。キャリア通算打率は.278。
2021年と2023年のアメリカン・リーグMVP、2023年のアメリカン・リーグ本塁打王は日本出身選手として初の快挙。また、エドガー・マルティネス賞(最優秀指名打者)を3度、シルバースラッガー賞を2度受賞している。
大谷は、昨年のワールドベースボールクラシックではハリウッド映画の筋書並みのドラマチックなタイミングでクラブメイトのマイク・トラウトとの対決を制し、1勝3敗でセーブを挙げてMVPに輝いた。決勝で彼は9回を無失点に抑え、1四球と1三振を奪った。